雑学

<54>思考の階層を考えてみる

他の人と同じ問題について語っているのに、解決に向けての話がかみ合わないことがよくあります。

議論がかみあわない、どうも話がそれる。

しかし、それぞれに言うことは間違ってない。

それは、同じ問題を違う層からみている、違うベクトルでみている、ということから生じると思われます。

7層の思考

たとえば、子どもの成績が最近下がってきたとします。

1)反応する

「残念だな。勉強しないからだ。いったいどっちの親に似たんだ?」

成績が悪いという結果を見て、すぐに原因らしきものを思いつく。

これは短絡的な反応ですが、頭の回転が早い人にありがちでもあります。

ただ、空気を読めずに失言するパターンもありそうです。

2)変化に気づく

「そういえば、中学2年の夏ごろから成績が落ちているな」

一回のテストだけを見るのではなく、時間の流れやパターンに気づきます。ただ、この段階ではまだ、なぜそうなったのかまでは考えていません。

3)原因を考え、解決策を出す

「中2になって部活が忙しくなった。家に帰ると疲れて勉強しなくなった。だったら部活を少しセーブするか、塾に行かせるなどして、勉強する時間を確保すればいい」

原因と結果を結びつけ、それに対する解決策を考えます。

いわゆる論理的な問題解決です。

ここまではかなり多くの人がたどり着くと思います。

4)その考えは本当に正しいのかと疑う

「でも、本当に部活が原因なのだろうか。同じように部活をしている友達はどうなんだろう。みんな何時間くらい勉強しているのか。塾に行っている生徒は、その分、本当に成績が上がっているのだろうか」

自分で立てた仮説を、比較したりデータを集めたりして検証しようとします。

3で答えを出したのに、4ではその自分の答えをいったん疑うわけです。

前提を疑う、という思考になります。

5)そう考えた自分自身を疑う

さらに考えてみます。

「そういえば自分も中学生のころ、勉強しなかったときには成績が悪かった。だから『勉強時間が足りないからだ』と思ったのではないか。本当にこの子にも同じことが当てはまるのだろうか」

「なぜ自分はそう考えたのか」と、自分自身の経験や思い込みまで振り返ります。

いわゆるメタ認知に近い考え方です。

6)問題を生み出している仕組みを考える

「そもそもテスト前だけ勉強時間を増やしても、また同じことを繰り返すのではないか。普段から少しずつ勉強して、分からないことをそのままにしない習慣を作った方がいい。睡眠や部活も含めて、無理なく勉強を続けられる生活そのものを作る必要があるのではないか」

ここでは、今回のテストの点数だけを問題にしていません。

3が「今回の成績をどう上げるか」だとすれば、6は「よい成績につながる状態をどう作るか」です。

目の前の問題を解決することから、その問題が繰り返し起こりにくい仕組みを作ることへ視点が移っています。

7)いろいろな視点と時間軸を組み合わせる

「勉強時間だけではなく、勉強の効率、本人に合った方法、家庭環境、睡眠、部活、塾、テスト前の過ごし方なども考えよう。そして次の定期試験だけでなく、高校受験、さらにその先の大学受験まで見ながら、本人が無理なく学生生活を送り、効率よく勉強できる方法を考えてみよう。実際の成績や本人の状態を見ながら、その都度計画を修正していけばいい」

これまでの思考をまとめて統合しています。

これらはあくまで例ですが、7層くらいの思考パターンがあり、それぞれ見ているものが違うことになります。

それでいて、どれも間違ったことは言ってないのです。

ここで面白いのは、3と6です。

どちらもかなり論理的に考えています。

3の人は、「部活が忙しくなって勉強時間が減ったのだから、勉強時間を確保しよう」と考える。

6の人は、「時間を強制的に確保しても、普段から自分で勉強する習慣がなければ同じことを繰り返す」と考える。

これは戦術と戦略、あるいは局所最適と全体最適の違いに少し似ています。

だから親同士で、

「部活を減らして塾に行かせればいい」

「そんなことより、自分から勉強する習慣をつけないと意味がないでしょう」

「だから、そのために塾に行かせるって言っているんだよ」

「そういう話じゃないのよ」

二人とも子どものことを真剣に考えているし、二人ともそれなりに論理的です。

それでも話は噛み合いません。

見ている問題のサイズが違うというか、一部を緊急的に改善したいのか、全体を長期で改善したいのか、といった違いがあるので、その視点が違うとかみあわないわけです。

仮にこれらを7種類の思考と考えると、以下のようになります。

この表だと7層目がもっとも頭が良くて優れているように見えますが、実際はそういう意味ではなく、どの層も必要に応じて使い分ける必要があります。

例えば「今必要なコピー用紙が不足した」に対して、7層目の統合的思考まで必要かといえばそんなの無駄です。

「とりあえず買えばいい」くらいの思考でも十分だったりします。

「慢性的にコピー用紙が不足して、困っている」という事態で、それぞれの層の思考が必要になります。

では信長で

こんな思考実験はいかがでしょう

「織田信長は、どうすれば天下を取ることができたのか?」

1(単純反応)なら、

「明智光秀に殺されたのだから、その前に光秀をどうにかしておけばよかった」

となります。

2(パターン認識)では、

「そもそも信長は冷酷で恐れられていたようなイメージがある。光秀だけの問題だったのだろうか」

と気づきます。

3(局所論理思考)では、

「恐怖による統率が離反を生んだのなら、もっと家臣を大切にし、他の大名とも良好な関係を築けばよかった。敵とも徹底抗戦より懐柔したりして、可能な限り敵を減らして味方を増やせば天下統一に近づいたのではないか」

と解決策を考えます。

ところが4(批判的思考)になると、

「そもそも信長は本当に恐怖政治をしていたのか。光秀が謀反を起こしたのも、本当に信長への恨みが原因だったのか。私たちが持っている『冷酷な信長』というイメージ自体が正しいのだろうか」

と、前提を疑い始めます。

そういった証拠や伝聞はどれだけあるのか。どれだけの家臣が裏切ったのか。それは他の大名より多いのか。

データを見る方向にもなります。

5(メタ認知)では、自分自身に目を向けます。

「自分の会社の社長が怖いパワハラ体質で、人間味がなく、効率ばかり求める人だったら、確かについていきたくない。でも、その会社が猛烈な勢いで成長していて、自分にも大きな仕事を任せてくれ、成果を出せばどんどん出世できるとしたらどうだろう。それでも自分は社長に反発するだろうか」

現代に生きる自分の上司観を、そのまま戦国時代の武将に当てはめていないかと考えます。

6(構造的論理)になると、信長や光秀という個人から離れて、織田家という巨大組織そのものを考えます。

急速に領土が拡大し、家臣たちは各地の方面軍を任されるようになる。

信長は合理性や効率を求め、それまでの伝統や常識を壊していく。それに眉をひそめる家臣たちもいたはず。

長年貢献した家臣であっても、役割を果たせないと判断すればクビにする。

信長が考えている大きな戦略や目標、思考内容は、家臣たちにどこまで共有されていたのか。

急成長する巨大組織にふさわしい家臣団との関係や指揮命令系統、危機管理の仕組みができていたのか。

すると問いは、「光秀をどうすればよかったか」から、「光秀のような有力家臣が離反しても、トップと後継者を一度に失わない組織をどう作るべきだったのか」に変わってきます。

そして7(統合的)まで考えてみると、最初の問いそのものが怪しくなってきます。

もっと家臣に優しく、周囲と仲良くして、という解決策は、一見もっともらしい。

効率ばかりもとめず、古い習慣や伝統も大切にしてじっくり構える必要もあったのかもしれない。

しかし、それを実行した人物は、そもそも我々が知っている織田信長なのか?そんな人が天下をとれるのか?

信長を天下人に近づけた性質と、信長が天下人になれなかった理由が、実は同じなのではないか?

そう考えると、「どうすれば信長は天下を取れたのか」という最初の問いから、「信長が彼一代で天下を取り、その後も安定した政権を維持できる?」という問いに変わってきます。

結果、「どうすれば天下がとれたのか」に対して

「若いころから節度を持った対応をして、人に好かれるような愛嬌を演義してでもみせて、古い習慣や能力がいまいちな家臣も見限らずにじっくり構えれば、道半ばで倒れなかっただろう。しかし、それだと彼一代では天下統一する時間はなかっただろうし、跡を継いだ息子らも秀吉、家康、政宗らの百戦錬磨の大人にいいようにされた可能性が高い、となると、そもそも織田家の天下は困難だったのではないか」

・・・あくまで一つの考え方です。はい。

もちろん、これは歴史の専門的な解釈を述べているわけではなく、あくまで思考の例です。

後世から振り返れば、信長は古い秩序を大きく変える役割を果たし、その後に秀吉が統一を進め、家康が長期に続く仕組みを作った、と見ることもできます。

話を戻します。

会議や討論でも、同じ議題について話しているはずなのに、実はそれぞれが違う層で話をしていることがあります。

一人は、

「今、この問題をどう処理するか」

を話している。

別の人は、

「なぜこの問題が繰り返し起きるのか」

を話している。

さらに別の人は、

「そもそも、その前提自体が間違っているのではないか」

と話している。

これでは、全員が正しいことを言っていても、議論はなかなか終わりません。

そんなときに必要なのは、誰の考えが上か下かを決めることではなく、

「今、私たちはどの層の話をしているのか」

をいったんそろえることなのかもしれません。

まず今日の問題を解決するのか。

原因を検証するのか。

再発しない仕組みを考えるのか。

それとも、もっと長期の方向性まで決めるのか。

議長や司会者の役割の一つは、発言をただ順番に回すことではなく、こうした「議論の層」をそろえることなのかもしれませんね。

そしてこれは、会議だけではなく日常の会話でも同じです。

話が噛み合わないとき、

「この人は分かっていない」

と考える前に、

「もしかすると、今は違うところを見ながら話しているのではないか」

と考えてみる。

それだけで、終わりのない議論が少し違って見えてくるように思います。


今年の夏ももう終わりですね。

どこにも行かなかったなぁ・・あ、試験で東京に行ったけどとんぼ返りでした。

下関市にて頭痛、片頭痛、めまい、頭のMRIなどでご相談がありましたら、志摩脳神経外科クリニックにてご気軽にどうぞ。