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院長コラム
<26>成長と習慣
本気を出して成長する
今の自分は、なりたい理想的な自分でしょうか?
なりたい理想的な自分とは何でしょう?
お金持ち?
やせてスマートになること?
仕事ができるように思われること?
異性にモテること?
人格者になること?
有名人になること?
権力者になること?
人それぞれ夢や希望はまだまだあるでしょう。もしかしたらあきらめている人だっているでしょう。
成功者のマネをして、同じことができればいいのでしょうが、それができれば苦労はしません。
しかし、自分はこんなものではない、もっとできるはずだ。と思いたい。
そして気づけば高齢者になっても、人生を振り返っても、自分が本気出せばもっとできたのに、とやはり思いたい。
この「本気」というのは気合というか精神力というか根性というか、とてつもない意思エネルギーのようなイメージだと思います。
しかし、実際はそんな気合なくできることかもしれません。
成長曲線
たとえば「毎日10kmジョギングしたら、体が引き締まって理想的な体型になるはずだ」と信じて実行したとします。
そもそも「毎日10kmジョギング」というのが、やったことがない人にとっては高すぎるハードルで、3日坊主どころか1日も持たないと思われます。休んで体を回復させる時間も、続ける根性もないわけです。
「じゃあ週2日だけ、10kmジョギングしよう」はできるでしょうか?
これもよっぽどの気合と精神力がないと困難な作業です。
「自分なら、どんなことでもやればできる」と思っている人はとてもうらやましいですが、現実的にはくじける可能性の方が高いと思います。そして急に変化をつけてやせようとしたことに対するリバウンドがやってきます。
走った分、毎日少しずつ体重が減る、という具合に目に見える成果が出れば、面白くなって意欲が続くかもしれません。
しかし、現実にはすぐに体重は減りません。どんなに努力しても、しばらくはあまり効果が出ません。
するとやはりくじけます。
仕事でも勉強でもそうなのですが、しばらくは目に見えるような成長をせずに下積みのようなことを繰り返す時期がずっとあり、後半になって急に伸びてくる、そういう成長曲線を描くものだと思っています。
やればやるだけ毎日成長できるような比例直線ではないので、成果が出る前にくじけてしまうのです。
軽作業から
では「週2日の10kmジョギング」が困難なら、どうしたらいいのでしょうか?
もっと軽い内容にして、気合入れなくてもできるくらいにすればいいのです。
「毎日家の周りのを100~200mを軽くジョギングする」
これなら物理的にはできると思います。
こんなので効果あるのか?と思われるのでしょうが、ここでの目的は「ジョギングを習慣化させる」ことになります。
なので、たとえ距離がなくてカロリー消費に値しないジョギングだとしても「毎日続けるクセをつける」ことが何よりも大事というわけです。
そういう考えなく、いきなりハードワークをしても続きません。仮に意思が強くてもケガします。
まずは、雨だろうが何だろうが「毎日ちょっとでいいから走る」という習慣をつけること。
習慣さえつけば、そのうち嫌でも距離が伸びます。「今日はもうちょっと走るか。」「明日は1km走ろう」
気づけばどんどん走ることになっています。
習慣化
実は「習慣化」というのがとても大きな仕組みなのです。
たとえば、認知症のかたやうつ病のかたで、「入浴が面倒だ」として嫌がる人がいると思います。
これは病気のせいで脳のキャパシティーが小さくなってしまった結果、服を脱ぐ、体を洗う、お湯につかる、服を着る、という作業がとても面倒でストレスと感じているからだと思っています。脳の余裕がなければ、とても気合と根性がいることになります。
しかし、普段毎日お風呂で体を洗うのが当たり前になっている人にとっては、気合も根性も不要です。
それが習慣なので。
食事のあとか寝る前に歯磨きする人と、それを面倒になっている人との違いも同様です。
習慣になっているから面倒も何もないのです。
メイクもそう、髪のセットもそう。
ふだん習慣化している人にとってはめんどくさいという自覚がないのですが、やってない人からみればストレスなのです
ただ、形式として紐づけが必要になることがあります。
「食事をした」→「歯磨きをする」
「食事をした」→「入浴する」
「食事をした」→「喫煙する」
と、人によっては、何かをすれば次に何かをする習慣がワンセットでシステムになっている場合があります。悪しき習慣だとしても。
走る習慣も、何かに紐づければいいわけです。
「朝起きる」→「洗顔する」→「走る」
この場合は、洗顔すれば次は自動的に外に出て走るんだ、という生活を毎日することになります。
顔を洗えば外に出る、という習慣づくりをします。
もしくは
「夕食たべる」→「走る」
この場合は、夕食後、必ず走るんだとすればいいのです。
そして走る距離は少しでいいです。距離はいずれ伸びます。
毎日少しでいいから続けること。これが最重要なのです。
さらにいえば、禁煙や禁酒もそうですが、誰かお目付け役がいれば効果的です。
「自分は毎日夕食後に走る」という宣言を家族にして、その通りしなければ家族に注意されるようにする。
そういうふうな習慣、仕組みを作れば、あまり労力なく目的が達成しやすくなります。
とにかく続けることです。
勉強も運動もダイエットも投資も少しずつでいいから続けることが最重要で、そのうち成長曲線の後半がやってきます。
最初から飛ばしてもできないのですが、少しずつやって習慣化して、慣れてきて、入浴や歯磨き同様に生活の一部に組み込まれるようになればできるものです。
習慣化といえば、私の中学生になる息子の話ですが、母親の考えがあって毎日の食事のメニューに野菜が入っていました。それが徐々に増えていきました。
毎日こんなに野菜が食べられない、嫌だ、という意思表示をしていた時期もありました。
ある日、母親が入院することになり、自由に食事を選べるようになったので、息子は喜んで好きなパスタを食べました。
そのあと、何やら椅子から立ち上がってキッチンにいき、握ったこともない包丁を取り出してトマトを切り出したのです。
「どうした?明日雪でも降るのか?」と私はその奇行に驚きましたが、当の息子は
「野菜を食べないと気持ち悪い」と言ったのです。
習慣化ってすごいパワーだとその時感じました。
今回は
理想的な自分になるため、続けたいことに対して、
「何かに紐づけて」「誰かに宣言して」「毎日少しでいいから」
→日常生活に意識せずとも習慣化させてしまうくらいにする
→継続する
→いずれ成長曲線の後半がやってきて、目に見えて効果が出る
というお話でした。
これは成長に関係することであれば、何もかも応用がききそうです。
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長府にある乃木神社。
そこにあった二百三高地の松。
「坂の上の雲」(あるいは映画の「二百三高地」)を知っている人なら、ちょっと立ち止まってしまう。
