歴史

<24>日本と西ヨーロッパ

古代と近代

もともとは古代の中国、インド、中東などで文明が生じました。黄河文明とかメソポタミア文明とか習いましたよね。

日本は中国大陸から稲作、漢字、仏教などを輸入しました。西欧も中東地域から文字やキリスト教などを輸入しました。当時は日本も西欧も後進地域でした。

しかし、近代になると西欧諸国と日本が列強となり、中国やインドなどを植民地化するほど力関係は逆転していました。

軍事力だけではなく、資本主義経済や政治体制など、いわゆる先進国としてそのあとの世界もリードしてきました。

それに比べて、中国やロシア、イスラム国家なども含めてアジアの諸国はきちんとした選挙が行われて元首が選出されているような体制ではなく、プーチンや共産党などが長年政権を牛耳っている状態です。

なぜそのような違いが生まれたのでしょうか?

中・ロは日本や欧米のようになれないのでしょうか?

文明の生態史観

私は地政学というのに触れたことがないのでその辺りの常識を存じ上げませんが、たまたま知った「文明の生態史観(梅棹忠夫)」という書籍が興味深いことを示してくれました。

なお、米国やオーストラリア、アフリカの大半は世界史では新世界にあたるため、そちらは除外して考えます。

新世界を除いた旧世界=ユーラシア大陸において、なぜ日本と西欧だけ経済的にも政治形態的にも発達できたのか、の興味深い説が先ほどの書籍にありました。

遊牧騎馬民族

それによると、ユーラシア大陸の中央に広大に存在するステップ・乾燥地帯、ここにポイントがあるそうです。

そこは遊牧民族が農業や定住などせずに渡り鳥のように集落ごと移動して生活する場所でした。

「遊牧民」というとのんびりして家畜とともに生活する平和的な印象かもしれませんが、実際は強力な騎馬民族でもあります。

農地や定まった住処を持たず、迅速な騎馬隊で一気に攻撃し、女性・子供も補給部隊として活躍する最強の部族でした。この遊牧騎馬民族が周辺の国家を常に緊張状態にさせていました。

遊牧騎馬民族の代表例は「フン族」「モンゴル」「スキタイ」「匈奴」などですが、これらが中国やロシア、東欧、中東を隙あらば攻撃していたため、中国などの国家はなかなか安心できませんでした。万里の長城は遊牧民対策に作られました。それでもモンゴル(元)や清といった北方遊牧民に占領された歴史があります。

また、中国やロシア、中東などアジアの国々の領土は広大です。色々な民族が集まっています。

そうなると、広大な領土で反乱が起きないように、民族間で荒れないように、遊牧民に対抗できるように、皇帝や王様に権力を集中させての専制政治になってきます。

この権力一極集中の専制政治は、有能な人間が運営すればいいのでしょうが、代々そうとは限りません。

うまい汁を吸おうといろんな人が寄ってきて腐敗するほか、権力を奪われたら国家も奪われて消滅します。

そういうリスクが常にありました。現実的に多くの王朝が同じ地域で交代していきました。

安全な西端と東端

それに比べて日本と西欧はどうでしょうか?

まず、ユーラシアステップにいる遊牧民と距離がありました。よって騎馬民族の脅威がありません。

さらに気候も暑すぎず寒すぎずちょうど良かったというのがあります。

じっくりと国家を熟成させては市民革命や産業革命を起こして、政治経済の発展をとげました。

国王に権力を集中させず、諸侯に地方分権させての管理となり、経済を知るもの(豪商)もあらわれました。

日本の江戸時代もそれと同様です。

明治維新が近代革命に相当すると思いますが、渋沢栄一などが急ピッチでおこなったことが功を奏して、西欧に肩を並べるまでになりました。

遊牧騎馬民族への脅威をはじめ、種々の理由があって中国やロシアなどでは権力を集中する国家にしてきたようです。それが今でも続いているということになります。つまり国家の習性です。

共産主義・社会主義がダメだと認識していても、その肩書は捨てず権力を手放せない体質は遺伝的に続いているということになります。

仮にプーチンや習近平が倒されても、その次が現れるだけでしょう。

なぜ、古代文明の時代では後進国だった日本と西ヨーロッパが、政治経済的に発展したのか?

それはユーラシア大陸の中央から遠かったから、というのが一つの要因のようです。

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クリニックのすぐ近くに形のきれいな山があったので、普段着のままノリで登ってみました。

青山、という山で標高284m。外観が富士山に似ているので「長門富士」とも呼ばれているそうです。

すると登山道というよりケモノみちを歩かされてしまい、急勾配で木やロープにつかまりながら何とか登りました。なかなか面白かったのですが年配のかたには難しそうな印象でした。途中でイノシシとか出たらどうしよう?とも思いましたが。

しかも頂上まで登ったはいいけれども、そこは立ち入り禁止になっていました。ここまで来てそんな・・・

途中の景色はちょっと見る限り、関門海峡や九州まで見えるので、それはよかったです。

青山城跡ということで、昔の石垣がありました。16世紀の大内氏や毛利氏と関連あるようです。