雑学

<43>この世や人生の意味?

生まれてきた意味とは何か

「自分は○○をするために生まれてきたんだ」


そう思えたことで、生きがいを見つけたり、前向きに生きられるようになったりする人もいるでしょう。

その考え方そのものを否定するつもりはありません。人は、それぞれ自分が納得できる考え方を持って生きていけばいいと思います。

科学的に確かなのは、「ヒトは両親の遺伝子を受け継ぎ、その組み合わせの結果として誕生した」という点までです。そこに「何かを成し遂げるために生まれてきた」という目的が最初から組み込まれていた、という証拠はありません。


それは、後から意味を上書きした「願望が加わった解釈」に見えます。

もし人生に最初から目的が設定されているのだとしたら、数日で命を終える赤子や、途中で病気や事故によって人生の選択肢が大きく制限された人は、どのように位置づけられるのでしょうか?

目的を果たせなかった存在という扱いになるのであれば、その考え方はかなり残酷です。

また、もし全てのことに意味があるのなら、数日で生命を全うする虫や、そもそも脳がないウイルスや植物など他の生命体にも生きる意味があるはずです。

いや生命体でなくても、例えば土、煙、PM2.5微粒子に至るまで、存在意義を見つけたい、意味があってほしい、と思うのでしょう。

例えば、人間が呼吸をするために空気があるのだと思いたい。そういうことでしょうか。

この世界は目的でできていない

この世界を「神が作ったもの」と考える人がいます。

その考えを信じる自由は尊重されるべきです。

一方で科学の立場から見ると、世界は因果の積み重ねで成り立っています。


多くの偶然が重なり、環境に適応できたものだけが生き残り、長い時間をかけて進化してきました。

人類が発達したのは、人類が賢く強くなったからです。

便利なものが発明され、お金儲けのためにアイデアが生まれ、ダメな物はすたれて、たまたま売れる物は残り、そして今の世の中ができたと思っています。これは種々の偶然の結果です。

人間の体内にある脳や内臓、酵素やホルモンも同じです。

これらは「何かのため」に設計された部品ではありません。

各パーツが偶然組み合わさることで生命体として各細胞が長持ちできるようになり、今も存在しているだけと思っています。

よって逆に、進化の過程や成長の過程で退化したパーツもあるわけです。

ヒトには尻尾がありません。胎児のときに発達している血管が生まれたときにはなくなっていたりします。

指が5本あり両手両足があり、心臓が一つあり腎臓が二つあるのは、偶然の産物だと思っています。

なぜ指が5本なのか?と、そこに意味を見出す必要性を感じません。


役に立つから残ったのではなく、残ったから役に立っているように見える。この順番を取り違えると、世界が急に「目的だらけ」に見えてしまいます。

空気が人間のためにあるのではなく、空気に適応できる生物が残ったのだと思います。

努力の方向を間違えずに

医師として診療をしていると、努力や考え方とは無関係に、人生の流れが大きく変わってしまう現実を日常的に目にします。

そうした現実を前にすると、「人は何かの使命のために生まれてくる」という考え方よりも、「理由がなくても事象は起こる」と考えたほうが、はるかに説得力が高いと感じます。

では、人生は無意味なのかというと、そういう話でもありません。


人生に「最初から意味がある必要がない」というだけの話です。

世界が目的で動いていないのであれば、人生についてももう少し気楽に考えてよいはずです。

立派な使命を探し続けるよりも、「自分は何をやっているときに比較的ましな気分でいられるか」「何をしていると消耗するか」を見極めるほうが、現実的です。

やりたいことがあるなら、それに近づく努力をするのは悪いことではありません。

ただし「努力の方向」を間違えないようにしたいところです。

失敗はいいのですが、それを失敗と気づかないまま突き進むのは良くありません。


仕組みを理解しないまま根性論で突き進んだり、他人の成功例をそのまま真似したりすると、努力は簡単に空回りします。

例えば「お金を儲ける」という目的はいいのでしょうが、そのために詐欺や犯罪を極めるために努力をする、そういうふうに大人や先輩から教わったという環境だってあるかもしれません。

きちんと教育を受けている環境とそうでない環境で、努力の方向が間違ってしまうことがあるのです。

だから結局、勉強や情報収集が大切になります。教育も重要です。


勉強とは、試験の点数を取ることだけではありません。世界がどう動いているのか、自分はどこにいるのか、何が現実的で、何が幻想なのかを見分けるための作業です。

それは、学生の特権ではありません。何歳になってもできることです。

人生に意味があるかどうかを悩み続けるよりも、世界の仕組みを少しずつ理解し、自分なりに納得できる方向へ微調整していく。

そのほうが、人生はずっと扱いやすくなるかと思います。


正しい方向に努力できるようになるだけで、人生は十分に楽になると思っています。


新年あけましておめでとうございます。

麻雀は流れ派ではなくデジタル派だと言いたかったのが、今回のコラムになります

ずいぶん重い文章になりましたが、エンタメと思ってくださいませ。

今年もよろしくお願いします。

下関市にて、頭痛、めまい、物忘れ、脳MRIなどでのご相談は、志摩脳神経外科クリニックにてご気軽にどうぞ